北豊島中学校・高等学校ではリベラルアーツ教育と英語教育に力を入れ、社会で活躍できる女性の育成を目指しています

学校法人 北豊島学園
北豊島中学校・高等学校

 

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卒業生のページ

 

卒業生は今・・・

卒業生は今・・・
 
ここでは、さまざまな卒業生をご紹介しています。
 
本校を卒業して現在、大学に通っている大学生、
大学を卒業して社会人として、1年目を迎えた卒業生、
また、社会人として活躍中の卒業生、
さらには、大学院などで研究中の卒業生。
 
そんな卒業生の近況をご紹介しています。
さまざまな分野で活躍している本校卒業生の様子を、ぜひご覧ください。
   
K.I.さん(平成9年度卒) WEBデザイナー
   
今、このページを見ているあなたは、
在校生の方でしょうか?
卒業生の方でしょうか??
教職員の方でしょうか???
または、北豊島のことを知りたくて見に来てくださった方でしょうか?
 
ホームページは、さまざまな方が訪れる場所です。
ホームページを「見てもらう」ことは読み手の人生の時間を「お借りしている」ということです。
ですので、ホームページを作る際には、見に来てくれた人に対して
「伝えるべきことが一目で伝えられるもの」を作らなければなりません。
 
私は、「どんな人がホームページを見に来てくれているのか」
「見ている人に、伝えたいことがしっかり伝わっているか」
などを、日々考えながらWEBデザイナーという仕事をしています。
 
学校の体育館には、壁に木彫りの校歌がある事が多いですよね。
北豊島の体育館にも、もちろんあります。
実はこれ、私たちの代の卒業記念品で、
一文字一文字、生徒たちが「手彫り」で作ったものなのです。
 
つい最近、同窓会で久しぶりに北豊島を訪れる機会があり、
今でも健在の木彫りの校歌を見て、当時の記憶が蘇りました。
 
これは、私たちの発案で企画して作ったものですが、
「自分たちで決めて、自分たちで自由にやっていい」という環境を
先生方が与えてくださったからこそ、実現できたものだと思います。
 
そこにはもちろん、「自分たちで決めて始めた事は、必ず最後までやり遂げること」が隠れた条件に入っていたのだと思います。
 
自分がやりたい! と思ったことを最後までやり遂げる。
これは何歳になっても大事なことですね。
 
私たちが何かをやり遂げるまで、陰日向となって見守ってくださったり、
時には支えてくださるのが北豊島の先生方なのです。
先生方には今でも本当に感謝しています。
 
そんな北豊島で私が学んだことは「思いついたらまず行動してみること」です。
失敗への恐怖心よりも、やらない道をたどった場合の「後悔」の方が大きいということです。
やってもやらなくても同じ時間を過ごすのであれば、とにかく「やってみる」のです。
 
将来のことが決まっている人、いない人、迷っている人。
いま目の前にある、興味のあることに全力でぶつかってみてください。
全力でぶつかった分、必ず何かが見えてきます。
 
最後に、卒業してだいぶ経った私に、この場にコメントを掲載させていただく機会をくださり、本当にありがとうございました。
 
   
J.H.さん(平成23年度卒) 明治大学国際日本学部 卒業
   
皆さんこんにちは。
私は、アメリカ フロリダ州にあるWalt Disney Worldで、半年間インターンシップをしてキャストメンバーの一員として働き、平成27年2月に日本に帰国しました。
 
北豊島に通っていた高校生の時から、このプログラムに参加することが私の夢であり、明治大学国際日本学部を志望しました。
 
前半3か月、私はMerchandiseといって、おみやげなどを売っているお店で働き、現在進行形ですが後半3か月はAttraction Operatorとして働いています。どちらの職種も他のものと比べてゲストと直接関わることが多いことに加え、私の職場には日本人どころかアジア人すらいない状況で働いているため、いやでも英語を一日中話し続けなければなりません。
 
覚悟はしていましたが、自分が英語漬けの生活に慣れるまで、そして同僚たちと打ち解けるまでは想像していた以上に厳しいものでありました。しかしそれは言語の不自由さというよりも、世界各国からたくさんの人々が集まり多文化が共生する“夢の国”ならではのCulture differencesが主です。このプログラム期間中に経験した異文化に対するフラストレーションは数えきれないほどです(笑)。
 
しかし、そのフラストレーションは実際にこちらに来て、たくさんの人と関わりたくさんのことを経験したからこそ知りえたことであり、確実に私の糧となりました。留学や海外インターンシップ、もちろん英語に関係することでなくても、夢を持ちその夢を今追いかけている皆さんに私からアドバイスすることがあるとすれば、それは恐れず、ためらわず、積極的に何事にも取り組み、そしてそれを全力で楽しむことです。これが夢を叶え、その叶えた夢を一回りも二回りも輝かしいものにする秘訣だと、私は胸を張って言えます。
 
私にとってこの半年間は人生で最も貴重で素晴らしい半年間であると言っても過言ではありません。それは追いかけ続けた夢をやっとの思いで叶え充実させているからこそだと思います。
 
All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them. I only hope that we don’t lose sight of one thing – that it was all started by a mouse.-Walt Disney
 
(夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべては一匹のネズミから始まったということを。-ウォルト・ディズニー)
 
皆さんの夢が叶いますように! Have a magical day, everyone!
 
   
L.E.さん(平成23年度卒) 中部大学工学部建築学科 卒業
   
先日、平成23年度に本校を卒業し、現在、中部大学で建築を学んでいる卒業生 L.E.さんから、手紙が届きました。
 
夏休み中には、大学で作った実際の作品模型なども学校に持参くれました(写真をご参照ください)。
 
この作品は、緑の生命力が街を行き交う人に希望を与え、街のオアシスになるとともに、緑が企業の考え方を示し、社員の誇りになるような「オフィスビル」を提案したものです。以下、手紙の内容をご紹介します。
 
ようやくしのぎやすい季節となりましたが、いかがお過ごしですか。
私は東京でのインターンシップを終え、現在は名古屋の設計事務所で仕事のお手伝いをしながら実務的なことを学んでいます。
 
来週からは後期の授業が始まるため、履修科目を決めたり、教科書を買い求めたりと、慌ただしくも充実した日々を送っています。
 
さて、私の作品のデータをDVDに焼きました。写真だけでなく、PDFの図面やプレゼンシートも焼いたので、どうぞご覧ください。
 
学校に寄贈した作品は、建築の輝かしい一面のみを映したスクリーンのようなものです。反対を見れば、現場で血のにじむような努力をして下さっている職人さんがいらっしゃいます。
 
授業でもキラキラして楽しそうなものもあれば、歯を食いしばりながら関数電卓をたたいたり、法令集を引かなければならないものも多くあります。
 
作品は氷山の一角です。キラキラに憧れて大学に入学しても、海面下にある見えない部分も必ず学ぶことになります。「こんなはずではなかった…」と、私の作品を見て大学に入学した学生が希望を失うことがないように、現実的なレポートや現場のデータ、また、作品を作っている作業風景写真も焼いておきました。こちらもぜひご活用ください。
 
大変なことも多いですが、とてもやり甲斐があります。私の作品が、高校生や中学生、そして小学生にとって、建築を知るきっかけになり、少しでも興味を持ってもらえたら、私もうれしいです。
 
これからの季節、朝夕冷え込みがまします。お体にお気をつけください。
 
   
A.K.さん(平成21年度卒)  昭和大学横浜市北部病院勤務 臨床検査技師
北豊島中学校高等学校での6年間、私は一生懸命に取り組むことの大切さを学びました。目標を立てること、また、それを達成することで、私自身、成長を実感できる学校生活だったと思います。
 
学校生活の中では、先生や友人に助けられたことは、数えられないほどありました。周りからの新しい刺激が、自分を成長させることに大きく繋がったと思います。そんな素敵な環境で、中高6年間を過ごすことができたことに、心から感謝しています。
 
高校卒業後、大学に進学して、以前から目標にしていた臨床検査技師の資格を取るための勉強に励みました。その結果、国家試験に合格し、臨床検査技師の資格を取得することができました。
 
現在、私は昭和大学附属病院の輸血検査室で、臨床検査技師として充実した日々を送っています。血液型を調べ、輸血が必要な患者さんへの輸血対応をしています。直接患者さんと接する採血業務時はもちろん、間接的に検体を通して検査を行う時にも、常に患者さんを思う気持ちを忘れないようにしています。また、患者さんの命に関わる一人の医療従事者として、常に責任ある行動を心がけています。
 
新人として働くようになった今、忙しい毎日の中でやり甲斐を見つけ、新しい目標に向けて、少しずつですが前進しています。目標を立てて、その目標を達成させるために一歩ずつ前に進んでいく過程が、自分を成長させることに繋がると私は考えています。
 
今、北豊島で生活しているみなさんにも、ぜひ目標を持って前進していって欲しいと考えています。みなさんは、決して一人ではありません。何かにつまずいた時、手を差し伸べてくれる先生方や、友人が身近にいることを忘れないでください。常に感謝の気持ちを忘れず、充実した学校生活が送れるよう、心から願っています。
 
在校生のみなさん、ぜひ頑張ってくださいね。応援しています。
 
(在校生へのメッセージ)
 
 
 
   
N.Tさん(平成21年度卒) 北豊島中学校・高等学校 音楽科
   
北豊島での中学時代は、学年の人数は1クラス20名弱で3クラスでした。少ない人数であったからこそ仲間意識が芽生えやすく、学年が上がるほどに団結力を増していきました。スポーツ大会などの学校行事はもちろん、自分たちで行事の企画をするなど、何事に対しても貪欲に取り組める環境でした。
 
勉強面においても、「わからなかったらいつでも来て」と先生方が声をかけてくださり、友人とともに実際に先生のところへ行くと、わかるまで根気強く教えてくださいました。そのため、理解できたときの感動を先生や仲間と共に味わうことができ、勉強がおもしろくなったことで成績も上がっていきました。
 
特徴的な授業のひとつである英会話の授業では、始めはなかなか先生の言っていることが理解できませんでした。しかし繰り返しクラスの皆と共に先生とコミュニケーションをとることで、まず人として思っていることをどう伝えたらよいのかということを知らない間に身に付け、英語を自然に覚えていくことができました。日々の授業のおかげで中学3年生での海外語学研修では、英語で現地の方と話せたということが結果ではなく、現地の方とコミュニケーションをとることができたことにより、現地のみなさんの感情豊かな音楽表現に興味をもち、音楽の道へ進んでいくことを決める一歩となりました。
 
卒業後も、大学での授業や海外の方との演奏の機会など、北豊島で身につけた語学は多くの場面で役立っています。大学では、大学では音楽療法を専攻していたことから、精神科、障がい者福祉施設、高齢者施設、特別支援学級・学校など、多くの場で参加型音楽活動のボランティアをしてきました。
 
リズム、メロディ、ハーモニーと音楽の要素を用いて、対象者に具体的に働きかけていく音楽療法を学ぶことで、音楽に対しての視野を大きく広げることができました。
 
卒業生一同、卒業と同時にみな口にすることは、北豊島の温かさです。北豊島在学中は、勉強に向かう姿勢、友達との関わり方などにも厳しくアドバイスくださり、様々思う部分は皆それぞれありました。しかし、卒業時に皆が口にするのは、あれだけ言ってもらえる環境は他にないということです。
 
卒業した後も、みな悩んだときに「背中を押してほしい」との思いで先生方に会いに学校を訪れます。勉強、部活、生徒会と毎日目まぐるしい日々を過ごすことができたのも、頑張っている姿を見守ってくださり、厳しくもやさしい先生方のご指導があったからこそ、がむしゃらに頑張ることが出来ていたのだと思います。
 
北豊島の教員となった今、今度は私自身が生徒を見守り、指導する立場となりました。今だからこそ、先生方の温かい眼差しがどれだけありがたいものだったかと痛感しています。
 
自分の母校で授業や部活動で生徒と関わる場面をいただいていることに感謝し、生徒の成長を見守り、励まし、応援していきたいと思います。
 
   
M.Nさん(平成21年度卒) 埼玉医科大学 国際医療センター
   
私はこの春、埼玉医科大学を卒業し、高校時代から目指していた臨床工学技士としての一歩を、埼玉医科大学国際医療センターで踏み出しました。
 
国際医療センターは、がん、心臓、脳の高度医療を行う病院で、私は、心臓病を患う患者さんを対象とした、循環器専門の臨床工学技士として勤務しています。
 
人工心肺などの生命維持管理装置を用いて治療を行うスペシャリストとして、チーム医療の一端を担うことになります。
 
現在は、大学での研究論文を学会で発表するための準備もしています。
 
医療現場での活躍だけにとどまらず、更なる先進医療の研究開発にも貢献していきたいと考えています。
 
   
Y.T.さん(平成20年度卒) 大森赤十字病院勤務(言語聴覚士)
   
私は現在、言語聴覚士として、都内の急性期病院で働いています。
私がしている仕事は、脳卒中による言葉の障害や、飲み込みの障害を抱える方々のリハビリです。
 
「リハビリ」と聞くと、リハビリ室で療法士と時間をかけてゆっくり…、というイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。
 
しかし、私の勤めている急性期の病院では、まだ意識がない患者さんや集中治療室にいる患者さんのリハビリも行っています。
 
脳卒中で倒れ、救急車で運び込まれてきたその日からリハビリを始めることも少なくありません。患者さんの心臓や呼吸の状態などを把握しながら、安全で質の高いリハビリを提供出来るよう、日々心がけています。
 
また、私が関わる言葉や飲み込みに障害を持つ方々の多くは、手足の麻痺とは違い、見た目だけでは分かりにくいため、なかなか理解されずにつらい思いをされていたり、自分の意思がうまく伝えられなかったり、今まで当たり前に出来ていた食べる事がある日突然出来なくなったりと、強い不安やストレスを抱えていらっしゃいます。
 
そんな気持ちに寄り添いながらリハビリを重ね、全く話せなかった人が一言でも話せるようになった時や、一口でも食べられるようになった時の嬉しさは、言葉では表せない程です。
 
北豊島での高校時代を振り返ると、少人数制の学校だったので、学習面や進路指導などを、さまざまな教科の先生方が親身になってサポートして下さったことが印象的です。
 
また、そのきめ細かさが日々の学習の充実につながっていたと思います。進路ゼミなども充実しており、普段の授業内では難しい苦手科目の克服をすることが出来たところも良かったです。
 
現在の仕事を志したのは高校時代でした。
北里大学で学んだ4年間ももちろんですが、働いている現在も、辛いことは沢山あります。
 
しかし、患者さんから頂く「ありがとう」という言葉や笑顔を力に、一日でも早くその人らしい生活・人生を送れるようになって欲しいという思いで、毎日患者さんと向き合いながら、充実した日々を送っています。
 
   
M.F さん(平成16年度卒) 立教大学 観光学部卒 旅行会社勤務
   
北豊島高等学校で学んだ英語は、私の“今”に大きく関わっています。高校2年で経験したニュージーランドへの修学旅行が、私が旅行会社への道を志したきっかけです。

私は、現地でのファームステイで、日本語がまったく通じない環境を初めて体験しました。しかし、開放的な気分を満喫し、かけがえのない思い出作りができたのは、北豊島の英語教育が幅広いものであったからだと考えます。ネイティブの先生との楽しい会話の中で、自然に自由な英語が身についたと思います。

立教大学に進学した私は、大好きな英語をさらに磨くために、カナダへの短期留学を決意しました。それは限られた時間でしたが、生きた英語を実感できる素晴らしい体験でした。北豊島の国際英語コースで学ぶ皆さん、北豊島での経験は、きっと将来の自分に繋がる扉を開く鍵になると思います。目指す夢を見つけ、一歩ずつ前へ進んでいきましょう。
   
S.Mさん(平成14年度卒)東京医科歯科大学大学院 博士課程修了(理学博士)
   
私は、平成24年3月に理学博士の学位を取得しました。大学に在籍している間は、細胞小器官の1つである中心体をターゲットとした研究をおこなっていて、新たな癌の創薬につながる研究に成功しました。とはいっても、研究が成功するまでは「孤独」との闘いでした。博士課程に入り、新たな研究テーマを与えられましたが、最初は実験が思うように進まず、悲しくなる毎日でした。何度もやめたいとも思いました。しかし、実験にも徐々に慣れて、新しいデータが出るたびに、ちょっとした感動がありました。

与えられたテーマの研究も無事終わり、3月に学位論文を提出したのですが、ほぼそれと同時期に、自分が興味を持っていたことを確かめるためにおこなっていた実験が成功し、新たな抗がん剤のターゲットを見つけることができました。あの日の感動は一生忘れないと思います。そのとき初めて、土日も休まず研究した甲斐があったと心の底から感じました。

現在は、日夜研究に没頭していますが、中学時代はどちらかというと、勉強にあまり熱心ではありませんでした。むしろ、友だちと楽しく過ごすことの方が多かったように思います。高1の時の生物の授業がきっかけで、大学では生命科学を学ぼうと決心しました。大学入試の時、夜遅くまで受験勉強に付き合って下さったことを、今でも懐かしく思い出します。先生方の丁寧かつ熱心なご指導もあり、希望大学に合格できました。

今後はオーストラリアに移り、医療の発展に貢献できる研究活動を続けていくことになりますが、私の大きな夢は、ノーベル賞を受賞することです。とてつもない大きな夢に向かって真っ直ぐ進むことができるのは、北豊島の先生方の丁寧な進路指導と、当時の担任の先生の熱い説教のおかげだと、今でも思っています。
   
A.I さん(平成12年度卒 公立小学校教員)
   

私は中・高の6年間、北豊島で過ごしました。私は、今でも帰りたくなるくらい母校が大好きです。その理由は3つあります。

まず1つ目に「アットホームな学校」ということです。北豊島は少人数制の学校なので、先生方は、ほぼ全員の生徒の名前と顔が一致しています。職員室に行っても廊下にいても気軽に声をかけてくださり、楽しい会話が自然と弾みます。当時、北豊島では「下校拒否」が問題になっていました。いつもロビーのソファーに腰掛けて生徒と先生達とのおしゃべりがつきなくて、「早く帰りなさい!」と、何度も怒られた覚えがあります。

2つ目の理由には「外国の文化と日本の伝統が同時に学べること」です。北豊島は英語に力を入れていて、ネイティブの先生が身近にいるので、正しいきれいな発音がいつも耳に入ってきます。英語のスピーチコンテストの時も、マンツーマンで指導していただきました。ハロウインの時期にはロビーにカボチャが飾られ、授業では楽しいゲームをしながら文化を学びました。そして、なんと言っても、サイパンやハワイなどの短期留学が充実していることです。私自身、中2のときに初めてサイパンのホームステイを経験しました。中学生という多感なときに異文化に触れ、向こうでお世話になる家族(ホームシスター)との交流は心にたくさんの栄養を残してくれました。高1になって再び、ホームステイをしたときには英語もかなり上達していたので、普通に現地の生徒と同じ授業を受け、日常生活では何不自由なく楽しく過ごすことができました。

また一方で、日本の伝統的な「華道」や「茶道」を経験することもできます。基本的な作法などもそこで身につけることができました。それは、今でも役に立っています。例えば、ある老人ホームでボランティアをしていたときのこと、お庭に咲いていたお花を生けたら、施設を利用されていたおばあちゃんやおじいちゃんが笑顔になり、喜んでくれました。また、畳の部屋でのお作法も教えてもらったり、高3の行事でテーブルマナーなどあり、教養のある女性として社会に出てからずいぶん役にたちました。

そして最後の3つ目に「自主性を重んじてくれる校風があること」です。北豊島では生徒会の役員を全校生徒の投票で決めます。どの生徒もやりたいことを生き生きとした表情でやっています。部活に汗を流し、勉強が分からなければ先輩や先生をこき使って分かるまで教えてもらいます。

学校生活の一番の思い出は文化祭です。どうしたら全校の生徒が楽しめるかを必死に考え、みんなで試行錯誤しながら企画・立案・実行して進めていきます。当然、生徒だけでは事がうまく運ばず、失敗したり挫折したりします。その時に力を貸してくれ、知恵を分けてくれるのが先輩や先生方です。『○○しなさい』ではなく、『どうしたいの?』と、聞いてくださいます。その上で、やり方や方法を教えてくれます。最終的に自分たちの力でやり遂げることができるようにバックアップしてくださるわけです。そうやって、生徒が主役の学校行事が他にもたくさんあります。スポーツ大会や合唱コンクール、それぞれのクラスが力を合わせて一生懸命に取り組みました。

高2の進路相談の時も、私が一番にとって進みたい道を一緒に考えて応援してくださる先生方がいました。私は数学があまり得意ではありませんでしたが、センター試験で必要でした。そこで毎朝、授業開始の一時間前に登校して、数学の先生をつかまえてはマンツーマンで教えて頂きました。他の教科も同様に、国語はこの先生、英語はこの先生というように放課後や夏休み等時間の許す限り、勉強をみていただきました。そのおかげで、塾にはほとんど通いませんでした。本当に感謝の思いでいっぱいです。

さて、今、私は東京都の公立の小学校の教員として勤務しています。今年は1年生の担任です。1年生といえば、ついこの間まで幼稚園や保育園だった子達なわけです。給食が全部食べきれずに涙が出てしまう子。トイレが間に合わずにお漏らしをしてしまう子もいます。すべての学校生活の基本を今のうちに教えなければいけません。一から十まで丁寧に分かるように教えます。それはとても根気のいる仕事です。

また、相手は生身の子どもたちです。毎日めまぐるしく、いろいろなことが起こります。そのときに瞬時に判断をして適切な言葉をかけたり、手助けをしたりしなければなりません。子どもたちのサインを見逃さないように、気づけるようにいつも神経を研ぎすませてアンテナを高くして仕事に臨んでいます。授業の準備も1年生は特に時間がかかります。自分でできることが他の学年よりも少ないので、担任が代わりにやっておかなければならないことが多くあります。

ちょうど先日、学習発表会(音楽会)がありました。1年生は「ミッキーマウスのマーチ」を演奏することになりました。「ミッキーの耳を作ろう!」 当然、子どもたちだけでは作ることができません。放課後や休みの日に教室へ行って、30人分の耳のお手伝いをしました。最後の仕上げは子どもたちに。難しい部分だけを手助けする事にしました。また何度も鍵盤ハーモニカで吹けるように練習させました。歌の音程が合わずに、オルガンを弾きながら音を合わせていきました。そうして繰り返し練習を重ねていくうちに上達していきました。そして迎えた本番、今までにないくらいの演奏を見事に見せてくれた子どもたち。また改めて、子どもたちのすごさを教えてもらいました。

毎日やっても、やっても仕事は終わらず、大変ですが、やりがいはそれ以上にあります。自分自身が真剣にぶっつかっていけば、精一杯応えようと必死に取り組む子どもたちがいます。その子どもたちから日々学んでいます。

最後に、私が教員を志したきっかけはこの北豊島の先生方との出会いでした。
「私も、こんな先生になりたいな。」
そう思わせてくださった先生方がいて、今の自分があることに感謝しています。
 

(平成23年11月の中学校説明会「卒業生は今」にて)

 

 
 
説明会「卒業生は今」にて
 
   
A.Uさん(平成9年度卒)英ウェールズ大学 大学院修了 MBA取得
   

“想像してみてください、10年後、20年後、あなたはどんな事をしていたいですか?”

私は1998年に北豊島高校を卒業し、4年制大学へ進学しました。大学では法律を学びながら多くの友人に囲まれ、楽しい4年間を満喫。就職氷河期ではありましたが、大手企業に就職し、総合職の正社員として働いていました。そしてこの後からです…、私の人生はもっと刺激的なものになりました。

現在私はロンドンに住んでいます。渡英のきっかけは“お花が好きだった”から。北豊島中学にはカリキュラムの中に「華道」の授業があります。私とお花との出会いはまさしくそこでした。高校生になると華道部に入部し、卒業と同時に華道の免許を取得しました。その後もお花への想いは当時よりずっと変わらず、社会人になってもお花の展覧会に出品したり、お教室に通ったりしていました。ですから、私にとって渡英する事はそんなに悩む事でもなかったのです。しかしいざ渡英してみると問題は山積み…。語学の問題、生活の問題、もちろん一人で飛行機に飛び乗ってしまったので、知り合いなど一人もいません。そこで私は、まず語学学校に毎日通い、24時間英語漬けの生活をスタートさせました。

そして8か月後、思いもよらず人生の大きなチャンスに恵まれる事になったのです。それはまるで“運命”のようでした。通っていた語学学校が突然倒産、学生ビザで渡英していた私は大ピンチ! その時でした、イギリス滞在の安心が約束される環境は国立大学しかないと思い、大学院への進学を決意したのです。3か月後、無事に国立大学大学院に合格し、MBA(Marketing)取得に向けて新たな挑戦が始まりました。(※MBAとは、Master of Business Administrationの略でビジネスに直結する経営学修士号です。世界で共通する学位として資格取得が難しく、弁護士や公認会計士などの資格の同様、注目を集める国際資格です。)

外国の大学は日本と違って卒業がとにかく難しい。MBAとなれば更に厳しい。日本人1人の環境で、前に進むにはとにかく全力でやるしかなく、1日平均10時間勉強は当たり前。それでも試験前になるとプレッシャーで泣きながら勉強した日もありました。しかしその甲斐あって無事MBAを取得。今は大好きなお花に囲まれながら、以前より興味があった世界中のボランティアに参加。MBAホルダーとしてもビジネスの世界で挑戦しています。中学時代の華道との出会いは私の原点。挑戦する事への大切さを学び、諦めない事への喜びを知りました。可能性は無限大です。ぜひわくわくする何かを、アットホームな北豊島で見つけてください。
 

 
 
ケニヤでのボランティア活動
 
大学院での修了式
   
K.O.さん(平成7年度卒) JTBコーポレートセールス 教育旅行担当
   
私は中学再開1期生で、平成2年に北豊島中学校に入学しました。
英語が大好きで、中高6年間を通じて、さまざまな国際教育プログラムに参加したことを今でもおぼえています。

中2でサイパン短期留学、中3の時はハワイ語学研修、高1の時はイギリス語学研修、高2の時は海外宿泊研修(サンフランシスコ)に参加しました。

英語と手芸が大好きで、クラブは家庭科部に所属していました。進路は、被服系と英語系で迷いましたが、大学進学は被服系に決めました。

大学3年の時、友人と行った卒業旅行(ヨーロッパ)で、添乗員の仕事に強く惹かれ、就職は旅行会社を中心に考えました。

はじめに勤めた旅行会社では、添乗の仕事も経験し、ある程度経験を積んだところでJTBとご縁があり転職しました。

JTBでは最初の5年間、一般の団体旅行を担当する部署に属していましたが、昨年度から教育旅行を扱う部署に転属し、現在は大学を中心に、留学のお手伝い、語学研修の手配、留学希望者への説明などを担当しています。

自分が中学再開1期生であることについては、私だけでなく周りのみんなも、かなり意識していたと思います。先生方も、とても手厚くサポートしてくれ、「これから北豊島を作っていく」といった意気込みも感じられました。

私が被服系の大学進学した後でも、今こうして旅行会社で充実した毎日が送れているのは、きっと北豊島で経験した英語教育と、国際教育プログラムに積極的に参加できたことが影響していると率直に思います。

中高時代はとても楽しく、今でも仲の良い友人数人と定期的に会っています。
今回、久しぶりに母校を訪ねましたが、お世話になった先生や知っている先生方がたくさんいらっしゃるというのも、私学の特色なんだと強く感じます。

今、新校舎建築に向けて工事が始まっていますが、できれば古い校舎がまだあるうちに、友人たちとまた北豊島を訪ねたいと思います。
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