学校法人 北豊島学園
北豊島中学校・高等学校
〒116-8555
東京都荒川区
東尾久6-34-24
TEL.03-3895-4490
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私は中・高の6年間、北豊島で過ごしました。私は、今でも帰りたくなるくらい母校が大好きです。その理由は3つあります。
まず1つ目に「アットホームな学校」ということです。北豊島は少人数制の学校なので、先生方は、ほぼ全員の生徒の名前と顔が一致しています。職員室に行っても廊下にいても気軽に声をかけてくださり、楽しい会話が自然と弾みます。当時、北豊島では「下校拒否」が問題になっていました。いつもロビーのソファーに腰掛けて生徒と先生達とのおしゃべりがつきなくて、「早く帰りなさい!」と、何度も怒られた覚えがあります。
2つ目の理由には「外国の文化と日本の伝統が同時に学べること」です。北豊島は英語に力を入れていて、ネイティブの先生が身近にいるので、正しいきれいな発音がいつも耳に入ってきます。英語のスピーチコンテストの時も、マンツーマンで指導していただきました。ハロウインの時期にはロビーにカボチャが飾られ、授業では楽しいゲームをしながら文化を学びました。そして、なんと言っても、サイパンやハワイなどの短期留学が充実していることです。私自身、中2のときに初めてサイパンのホームステイを経験しました。中学生という多感なときに異文化に触れ、向こうでお世話になる家族(ホームシスター)との交流は心にたくさんの栄養を残してくれました。高1になって再び、ホームステイをしたときには英語もかなり上達していたので、普通に現地の生徒と同じ授業を受け、日常生活では何不自由なく楽しく過ごすことができました。
また一方で、日本の伝統的な「華道」や「茶道」を経験することもできます。基本的な作法などもそこで身につけることができました。それは、今でも役に立っています。例えば、ある老人ホームでボランティアをしていたときのこと、お庭に咲いていたお花を生けたら、施設を利用されていたおばあちゃんやおじいちゃんが笑顔になり、喜んでくれました。また、畳の部屋でのお作法も教えてもらったり、高3の行事でテーブルマナーなどあり、教養のある女性として社会に出てからずいぶん役にたちました。
そして最後の3つ目に「自主性を重んじてくれる校風があること」です。北豊島では生徒会の役員を全校生徒の投票で決めます。どの生徒もやりたいことを生き生きとした表情でやっています。部活に汗を流し、勉強が分からなければ先輩や先生をこき使って分かるまで教えてもらいます。
学校生活の一番の思い出は文化祭です。どうしたら全校の生徒が楽しめるかを必死に考え、みんなで試行錯誤しながら企画・立案・実行して進めていきます。当然、生徒だけでは事がうまく運ばず、失敗したり挫折したりします。その時に力を貸してくれ、知恵を分けてくれるのが先輩や先生方です。『○○しなさい』ではなく、『どうしたいの?』と、聞いてくださいます。その上で、やり方や方法を教えてくれます。最終的に自分たちの力でやり遂げることができるようにバックアップしてくださるわけです。そうやって、生徒が主役の学校行事が他にもたくさんあります。スポーツ大会や合唱コンクール、それぞれのクラスが力を合わせて一生懸命に取り組みました。
高2の進路相談の時も、私が一番にとって進みたい道を一緒に考えて応援してくださる先生方がいました。私は数学があまり得意ではありませんでしたが、センター試験で必要でした。そこで毎朝、授業開始の一時間前に登校して、数学の先生をつかまえてはマンツーマンで教えて頂きました。他の教科も同様に、国語はこの先生、英語はこの先生というように放課後や夏休み等時間の許す限り、勉強をみていただきました。そのおかげで、塾にはほとんど通いませんでした。本当に感謝の思いでいっぱいです。
さて、今、私は東京都の公立の小学校の教員として勤務しています。今年は1年生の担任です。1年生といえば、ついこの間まで幼稚園や保育園だった子達なわけです。給食が全部食べきれずに涙が出てしまう子。トイレが間に合わずにお漏らしをしてしまう子もいます。すべての学校生活の基本を今のうちに教えなければいけません。一から十まで丁寧に分かるように教えます。それはとても根気のいる仕事です。
また、相手は生身の子どもたちです。毎日めまぐるしく、いろいろなことが起こります。そのときに瞬時に判断をして適切な言葉をかけたり、手助けをしたりしなければなりません。子どもたちのサインを見逃さないように、気づけるようにいつも神経を研ぎすませてアンテナを高くして仕事に臨んでいます。授業の準備も1年生は特に時間がかかります。自分でできることが他の学年よりも少ないので、担任が代わりにやっておかなければならないことが多くあります。
ちょうど先日、学習発表会(音楽会)がありました。1年生は「ミッキーマウスのマーチ」を演奏することになりました。「ミッキーの耳を作ろう!」 当然、子どもたちだけでは作ることができません。放課後や休みの日に教室へ行って、30人分の耳のお手伝いをしました。最後の仕上げは子どもたちに。難しい部分だけを手助けする事にしました。また何度も鍵盤ハーモニカで吹けるように練習させました。歌の音程が合わずに、オルガンを弾きながら音を合わせていきました。そうして繰り返し練習を重ねていくうちに上達していきました。そして迎えた本番、今までにないくらいの演奏を見事に見せてくれた子どもたち。また改めて、子どもたちのすごさを教えてもらいました。
毎日やっても、やっても仕事は終わらず、大変ですが、やりがいはそれ以上にあります。自分自身が真剣にぶっつかっていけば、精一杯応えようと必死に取り組む子どもたちがいます。その子どもたちから日々学んでいます。
最後に、私が教員を志したきっかけはこの北豊島の先生方との出会いでした。
「私も、こんな先生になりたいな。」
そう思わせてくださった先生方がいて、今の自分があることに感謝しています。
(平成23年11月の中学校説明会「卒業生は今」にて)
“想像してみてください、10年後、20年後、あなたはどんな事をしていたいですか?”
私は1998年に北豊島高校を卒業し、4年制大学へ進学しました。大学では法律を学びながら多くの友人に囲まれ、楽しい4年間を満喫。就職氷河期ではありましたが、大手企業に就職し、総合職の正社員として働いていました。そしてこの後からです…、私の人生はもっと刺激的なものになりました。
現在私はロンドンに住んでいます。渡英のきっかけは“お花が好きだった”から。北豊島中学にはカリキュラムの中に「華道」の授業があります。私とお花との出会いはまさしくそこでした。高校生になると華道部に入部し、卒業と同時に華道の免許を取得しました。その後もお花への想いは当時よりずっと変わらず、社会人になってもお花の展覧会に出品したり、お教室に通ったりしていました。ですから、私にとって渡英する事はそんなに悩む事でもなかったのです。しかしいざ渡英してみると問題は山積み…。語学の問題、生活の問題、もちろん一人で飛行機に飛び乗ってしまったので、知り合いなど一人もいません。そこで私は、まず語学学校に毎日通い、24時間英語漬けの生活をスタートさせました。
そして8か月後、思いもよらず人生の大きなチャンスに恵まれる事になったのです。それはまるで“運命”のようでした。通っていた語学学校が突然倒産、学生ビザで渡英していた私は大ピンチ! その時でした、イギリス滞在の安心が約束される環境は国立大学しかないと思い、大学院への進学を決意したのです。3か月後、無事に国立大学大学院に合格し、MBA(Marketing)取得に向けて新たな挑戦が始まりました。(※MBAとは、Master of Business Administrationの略でビジネスに直結する経営学修士号です。世界で共通する学位として資格取得が難しく、弁護士や公認会計士などの資格の同様、注目を集める国際資格です。)
外国の大学は日本と違って卒業がとにかく難しい。MBAとなれば更に厳しい。日本人1人の環境で、前に進むにはとにかく全力でやるしかなく、1日平均10時間勉強は当たり前。それでも試験前になるとプレッシャーで泣きながら勉強した日もありました。しかしその甲斐あって無事MBAを取得。今は大好きなお花に囲まれながら、以前より興味があった世界中のボランティアに参加。MBAホルダーとしてもビジネスの世界で挑戦しています。中学時代の華道との出会いは私の原点。挑戦する事への大切さを学び、諦めない事への喜びを知りました。可能性は無限大です。ぜひわくわくする何かを、アットホームな北豊島で見つけてください。