終業式では、しめくくりとしての通知票から前期の学校生活をしっかりと振り返り、後期に向けて新たな目標をたてて頑張ってほしいこと、また、その後に「和」という文字についての話をしました。
「和」は訓読みでは「なごむ」と読みますが、「日本」を表す意味として「和食、和服、英和辞典」などといった熟語が頭にうかびます。
古く中国では日本のことを「倭」という文字で表していました。
たとえば、歴史の授業で「魏志倭人伝」が話題になることがあると思います。
これは、約1700年前の中国の記録ですが、日本を表していたと思われる「倭」という字は、「人が素直に従う」という意味です。
ということは、「人に頭を下げてばかりで、全て他人に従っている」、つまり「人」に「委」ねてばかりいるというイメージが念頭にあったのかもしれません。
一方、日本ではどうかというと、平安時代頃になると、「倭」の他に平和の「和」も「日本」という意味で使われるようになっていたようです。
平安時代に成立した初の勅撰和歌集「古今和歌集」なども、古い写本によってどちらの字も使っています。「和歌」は「やまとうた」、つまり「日本の歌」という意味です。
「和」という字の成り立ちは、左の「禾」の部分が戦いの際に軍門に立てる標識を意味し、右の「口」の部分が誓いの手紙を入れる箱を指す。
つまり、「敵対する者同士を和解させる、仲よくさせる」といった意味を持っているのです。
日本という国のことを「倭」ではなく、平和の「和」という文字で表すことで、日本という国は「人に委ねている」わけではなく、「敵対することを避け、共に仲良くしていこうじゃないか」という思いを示しているともいえそうです。
他に、料理などで使われる「和え物」という言葉でも「和」を使います。「和える」とは「異なるものを混ぜ合わせ、馴染ませること」という意味ですから、熟語でも「調和」や「和解」などがあることからもわかるように、「敵対する者同士を仲よくさせる」といった本来の意味を含んでいるといえそうです。
北豊島の校訓「和敬」にも「和」が使われています。意味は、「心おだやかでつつしみ深く、相手を思いやること」です。
「和」が、これからのグローバル時代を生き抜くためにも、とても大切な意味を含んだ文字であるということ、そしてそれが「日本」を表す漢字でもあること、そして、本校の校訓にも使われているということ…。
何かしら「縁」を感じます。
「相手を思いやること」という意味では、その一歩として気持ちよい「あいさつ」が大事ではないかと考えています。校内が、今まで以上に、互いに気持ちよいあいさつで満ちあふれる雰囲気になることを、切に願っています。
10月には本校の文化祭(北桜祭)が開催されます。
たくさんの来校者に、「和敬」の「和」の雰囲気が伝わるといいですね。
大いに期待して、当日を迎えたいと思います。