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学校長によるブログ

 
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くしゃみ
2016-02-19
朝、電車の中で天声人語と折々のことばを読むのを日課にしています。
ところで、今朝の天声人語を読んでいて思わず吹き出してしまいました(マスクをしていたので、周囲の人にはあまり気づかれませんでしたが…)。
 
どんな内容かというと、くしゃみのあとの呪文は古くからあったらしいという話題の中で、ある「女性」の呪文がとてつもなくすごいのです。
ヘーイックションッと大声で放ったあとに必ず「チクショーこのヤロー」がついてくるというのです。
 
そういえば私にも覚えがあります。「チクショー」だったか「このヤロー」だったかは定かではありませんが、確かになにか呪文のようなことばをつぶやいていた記憶があるので、我が身が重なって思わず吹き出してしまいました。
 
また天声人語に、清少納言は「枕草子」でそれ(=くしゃみのあとの呪文)を嫌がっている、とも書かれていました。
平安時代、「くしゃみ」をどのようにとらえていたのか、『枕草子』では何度か話題になっています。
 
1.「にくきもの」より
(にくきもの)鼻ひて誦文(ずもん)する人。
 
→「鼻ひて」が「くしゃみをする」意。「誦文」は「呪文」と同じ。つまり、天声人語で話題になっている部分です。くしゃみをしたらすぐに呪文を唱えないと不吉だと当時は考えられていたのでしょうが、呪文さえ唱えれば大丈夫と、無遠慮にくしゃみをする人のことを、清少納言はにくらしいと思っていたのだろうと考えられます。
 
2.「宮にはじめて参りたるころ」より
物など仰せられて、「われをば思ふや」と問はせたまふ。御いらへに「いかにかは」と啓するに合はせて台盤所の方に、鼻をいと高うひたれば、「あな心憂(こころう)。そら言するなりけり。よしよし」とて入らせたまふ。
 
→清少納言が仕えていた中宮定子(ていし)様が、「私のことを大切に思ってくれてる?」とお尋ねになるので、「もちろんです」とお答えした瞬間、台盤所(仕えている女房が詰めている所)からとても大きなくしゃみの音がしたので、定子様は「あらいやだ。嘘をついたのね。もういいわ」とおっしゃって、奥にお入りになったというのです。
 
このエピソードからも、「くしゃみ」は平安時代、よくないことが起きる前兆と考えられていたことがうかがえます。「くしゃみ」を聞いて、定子様は、清少納言のことばを「嘘だ」と感じて奥に入ってしまったわけですから…。
 
3.「したり顔なるもの」より
したり顔なるもの 正月一日のつとめて、さいそに鼻ひたる人。
 
→「得意顔なもの 正月一日の早朝に、最初にくしゃみをした人。」よくないことが起きる前兆とは別に、元旦のくしゃみだけは吉兆とする俗信が当時あったこともうかがえます。
 
天気予報によれば、そろそろ花粉が多く飛ぶとのこと…。
花粉症である私にとって、くしゃみは曲者であり大敵です。
 
今朝の新聞の一面には、早咲きで知られる静岡県の河津桜が見頃を迎えたという記事もありました。
春の訪れは、くしゃみの訪れでもあります。
 
 
引越後の校長室の様子
2016-02-06
本日、古い校舎から新しい校舎への引っ越しが行われ、私自身も古い校長室とお別れすることになりました。
 
校長室には、初代校長 林 政穂 先生、創立者である二代校長 秋上 ハル 先生をはじめ、歴代の校長先生方の写真が飾られています。
 
新しい校舎に持ち込む荷物を全て運び終え、最後に残ったのはソファーセットと歴代の校長先生方の写真です。
 
もちろん、歴代の校長先生方の写真は、この後取りはずして新校舎に運びますが、長年の間、この部屋を使ってきた歴代の校長先生方の思いがこの場所に詰まっていると思うと、しみじみ感じられます。
 
また、新たな場所でさらに頑張らなければと、気の引き締まる思いです。
 
 
引越後の4号館の様子
2016-02-06
2月6日(土)、古い校舎から新しい校舎への引っ越しが行われました。

職員室や事務室、理科室、保健室、礼法室、中2のHR教室などが入っていた旧4号館(正式には4~6号館)は、今後、順次解体されます。
 
新しい校舎はもちろん、解体される古い校舎にも感謝の意をこめて、校舎を大切に、そしてきれいに使おうと、昨年から呼びかけていました。
 
引っ越しの数日前から、古い校舎をきれいに清掃していた生徒たちの姿が見られ、ジーンと感じていたのですが、引っ越しが完了した後の4号館を見て回ると、本当にきれいな状態でした。
 
左の写真は中2教室、真ん中の写真は理科室、右の写真はトイレです。
とくに中2教室と理科室はがらんとしていますが、これから解体されるとは思えないほどきれいになっていました。
 
職員室前の廊下にあった伝達用黒板には「さようなら、4・5・6号館!」と大きく書かれていました。
きっと、生徒の誰かが書いたのでしょう。
こちらにもジーンときてしまいました。
 
8日の月曜日からは、本格的に新校舎で学校生活を送ることになります。
そして1時間目には、新校舎落成全校集会が行われます。
 
 
平成9年度卒業生の同窓会が行われました(1)
2016-01-25
1月23日(土) 平成9年度卒業生の同窓会が本校多目的ルームで行われました。
 
約50名の卒業生たちは現在36歳、さまざまな分野で活躍していたり、子育てで忙しかったりと、境遇もさまざまです。
 
京都など関西から来てくれた卒業生もいれば、ご主人の仕事の関係で現在は香港にいるにもかかわらず、わざわざ香港から来てくれた卒業生もいます。
 
仲の良い友人同士ではたまに会っていたようですが、これだけの人数が一堂に会すると、二十年近く会っていない同級生もいるわけで、お互いに歓声を上げたり、話に花を咲かせたり、予定の時間があっという間に過ぎていくようでした。
 
学校で同窓会を行うメリットは、お世話になった先生方も、空いた時間を見てちょっと顔を出すことができるという点です。
 
すでに定年でご退職になった先生方も来てくれましたが、職員室にいる先生方も、会場に姿を見せてくれました。
 
ちょうど新校舎の完成が間近で、引っ越し作業が済むと、今度は懐かしい思い出の詰まった古い校舎が取り壊されます。
 
その校舎には、職員室や事務室、高三の時に使用したHRなどもあり、夕方からは校内見学(散策)の時間となりました。
 
あちこちで写真を撮る卒業生たち。
解体される前に同窓会ができて、本当によかったと思います。
 
幹事を務めてくれた卒業生たちの大変さは、計り知れないものがあったと思いますが、最後までニコニコ笑顔でやり遂げてくれました。
 
在学中のことを知っているだけに、とても頼もしく感じました。
今度は新校舎もできるので、また何年後かに学校で同窓会ができたらいいなあと、しみじみ感じました。
 
左の写真は、会場で談笑する卒業生たち。
右の写真は、全員での記念撮影です。
 
ちなみに、「同窓会」と大きく筆で書いてくれたのは、参加した卒業生のご主人だと教えてくれました。
とても立派に書けていて感動しました。
 
 
平成9年度卒業生の同窓会が行われました(2)
2016-01-25
平成9年度卒業生の同窓会では、懐かしい卒業生たちといろんな話ができましたが、K.Y.さん(左の写真)は、中学から入学した一貫生です。
 
彼女は本校卒業後、獨協大学法学部に進学し、現在は物流系の会社で働いています。
話の中で、大学受験の時の話題になり、今でも「土曜講座」で受講していた小論文のおかげで合格できたようなものだといったエピソードを話してくれました。
 
彼女は英語が得意で、当時の入試方式「英語+小論文」でチャレンジしたというのです。
英語にはある程度自信があったものの、小論文という授業はないので、土曜講座で当時の先生からさまざまな指導をしていただいたようです。
 
入試当日の小論文課題に落ち着いて取り組むことができたと、まるで昨日のことのように語ってくれました。
 
また、私は担任したことはないのですが、授業で担当したことのある仲良し4人組とも懐かしい話をしました(右の写真)。
 
彼女たちは今でもたまに連絡を取り合って会っているそうですが、これだけたくさんの同窓生が集まっていると、誰が誰だかわからなくなりそうです。
 
卒業して20年近く経過しているので、その変貌ぶりになかなか顔と名前は一致しないのですが、名札で名前を確認すると、やはり当時の面影が残っているなあと感じます。
 
たくさんの卒業生たちに会うことができて、また懐かしい話題に盛り上がったりして、予定時間を過ぎてもなかなか帰ろうとしない卒業生が大勢いました。
 
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