9月9日は重陽(ちょうよう)の節句。
日本では「菊の節句」という言い方のほうが、なじみがあるかもしれません。
「重陽」はもともと、中国の「陰陽思想」の「陽」(奇数)のうち、一番数字の大きい「九」が二つ重なるところからきている言い方で、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていたようです。
唐の詩人 杜甫 は「登高」という詩を残していますが、「登高」とは、9月9日に高台に登り、菊酒を飲んで邪気払いをする習慣のことです。
「登高」という詩は杜甫の晩年(57歳ごろ)の作で、七言律詩(一句が七文字、八句からなる近体詩)の悲愁あふれる傑作です。
本来なら9月9日に家族みんなで高台に出かけ、菊酒を飲んだり美味しいものを食べたりしながら、家族みんなの健康や長寿を祈ったりしたのでしょうが、「登高」では、杜甫はたった一人で高台に登ります。
また、大河「長江」の流れがこんこんと迫ってくる中、故郷からずっと離れた場所で、毎年の秋を悲しい旅人の身で迎える杜甫。
長年の苦労で、恨めしいことに鬢(びん)の毛はすっかり白くなってしまっただけでなく、落ちぶれた身に追い討ちをかけるように、好きだった酒さえ禁じられてしまったと、嘆きのことばで詩はしめくくられます。
八句の詩ですが、二句ずつがすべて対句になっていて、内容だけでなく、厳格なルールの中で作られた近体詩の中でも、構成としても素晴らしいものになっています。
しかも本来の「登高」とは対照的な状況や心情を描く杜甫の悲哀が、その対照性ゆえに、強烈なインパクトをもって伝わってくるのです。
この季節になると、機会あるごとに授業で話題にはするのですが、作者の晩年の悲哀あふれる感情は、若い高校生には、なかなかリアリティをもって伝わらないものです。
当然と言えば、当然のことかもしれません。
私だって、まだその年にはなっていないのです。